「琵琶湖に道が現れた」
そんな驚きのニュースが、今注目を集めています。
普段は湖に沈んでいるはずの場所に、
まるで人が歩けそうな“道”のようなものが出現したのです。
また、そこには普段は水面下に沈んでいる
「幻の城・坂本城」の石垣が姿を現しました。
その光景は潮が引いた時に姿を現す
フランスのモン・サン・ミシェルのよう─
とも例えられています。
この記事では以下のような皆さんの疑問を、
わかりやすく解説していきます。
・琵琶湖に出現した道について
・「琵琶湖のモン・サン・ミシェル」坂本城とは
・坂本城は湖の中に築城された城なのか
琵琶湖に“道” 話題のニュース要約
今回話題になっているのが、
「琵琶湖に道ができた」というニュース
降雨不足により琵琶湖の水面が下がったことで、
普段は水面に沈んでいる場所が姿を現しました。
その現れ方が印象的で、
石が一直線に並び、湖岸から沖へと続くような形は、
ただの自然現象とは思えない美しい姿。
そのため、ネット上では、
『昔、人が使っていた道なのでは?』
『城と湖をつなぐ通路だったのでは?』
とさまざまな想像が広がっています。
幻の城・坂本城とは
坂本城(さかもとじょう)は、
近江国(現在の滋賀県大津市下阪本)
にあった日本の戦国時代の城です。
明智光秀が織田信長の命を受けて築いた城で、
琵琶湖に面した平城・水城(湖と堀を活かした城)として有名でした。
築城は1571年(元亀2年)、廃城は1586年(天正14年)で、
城としての期間は約15年ほどと比較的短かったとされています。
しかし現在は城郭の大部分が市街地化しており、
建物などの遺構はほとんど残っていません。
発掘調査では石垣・井戸・礎石などの遺構や古い瓦などが見つかっており、
城の存在が裏付けられています。
比叡山焼き討ちの後、信長が光秀に命じて坂本城を築城。
琵琶湖の交通・軍事の拠点に。
本能寺の変の後、光秀は山崎の戦いで敗れ坂本城へ
戻ろうとする途中で亡くなります。
城も戦いの中で焼失。
豊臣秀吉の家臣・丹羽長秀らによって一時再建されましたが、
1586年に大津城が築かれたことで坂本城は廃城となります。
城の跡地は市街地になっていて、石碑や城址公園が設けられています。
また、琵琶湖の水位が下がると湖底にあった石垣が見えることもあります。
坂本城が「幻の城」と呼ばれる理由
坂本城は以下のような理由で“幻の城”と呼ばれています。
- 実際の建物がほとんど残っていない
- 城の全貌を示す資料が少ない
- 水位によって湖底から石垣が姿を現すことがある
坂本城跡はどこ?
坂本城は昔から湖の中にあったの?
坂本城はもともと湖の中に築城された城ではありません。
築城当時は、現在よりも湖岸線が内陸側にあり、
しろは湖に近い陸地に存在していました。
琵琶湖に面した平城・水上と言われています。
しかし長い年月の中で、
琵琶湖の水位変動や、地形の変化、治水や開発の影響
などが重なり、陸地から湖の下に沈んだと考えられます。
その結果、
『湖に沈んだ城』
『幻の城』
といったイメージが定着しました。
中には、『琵琶湖のモン・サン・ミシェル』と呼ぶ人も
いるとか・いないとか・・・
まとめ
坂本城は非常にロマンのある城となっています。
- 琵琶湖に現れた道は、水位低下によって湖底が露出したもの
- 場所は、大津市坂本周辺の坂本城跡とされるエリア
- 坂本城は明智光秀が築いた、湖と深く関わる城
- 城はもともと陸地にあり、地形変化によって水没した可能性が高い
自然の変化がきっかけで、
何百年も前の歴史がふと顔を出す――。
琵琶湖に現れたこの“道”は、
坂本城が確かにそこに存在していたことを、
静かに教えてくれているのかもしれません。
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